WOOD CRAFT 森の工房
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連載小説 ブナの実の落ちる頃
第8章 試練
   前号までのあらすじ
 父親が死に、母親が行方知れずになり田舎の母親の実家に預けられた少年は、山の上の大きなブナの木に出会い父親のように慕うようになる。中学を出て都会に就職したもののいじめに会い飛び出してしまうが、ある少女と出会い、家族のように家に迎えられ印刷工場の仕事を紹介された。15年後、ブナの木のある山すそに農業を志して入植。家を作り畑を広げ小麦を蒔き、田舎での暮らしが始まったが、開拓の苦労よりも孤独との闘いがつらいものだった。そして巡り来た春、娘が押しかけて結婚、二人での暮らしが始まった。


 次の年には二番目の女の子も誕生。小麦と大豆の収入はほぼ安定し、貧しくはありましたが四人の幸せな暮らしが続くかのように思えました。
 その年の冬のことです。
 薪ストーブの燃える家の中に傾きかけた陽が差し込んでいます。がたがたとなるガラス窓の外にはいく本ものつららがオレンジ色に光っていました。
 正雄はよい天気を見計らってウサギのわなを見に山に出かけ、かおりは縫い物をしながら子供たちと過ごしていました。
 ふと傍らでぐずっていた下の子が静かになったのに目をやったかおりの表情がこわばりました。目がうつろで声をかけても反応がなく様子がおかしいではありませんか。額に手をあてるといつのまにかものすごい熱が出ていました。かおりの顔からみるみる血の気がうせていきます。
 急いで手ぬぐいを濡らし額にあてますが、苦しそうな息を不規則に繰り返すばかりでいくら呼びかけても目をむけようとはしません。正雄が帰るまでの時間のどれだけ長かったことでしょう。
 日が沈んでから帰った正雄はそのただならぬ様子に診療所に連れて行くことにしました。診療所までは夏なら一時間くらいの道なのですが、いつのまにかあれほどおだやかだった日中の天気がうそのように外は猛烈な吹雪になっています。この吹雪の中を連れて行ったものかも迷いましたが症状は悪くなるばかりのようで一刻を争う様子です。
 正雄は子を背中に帯で背負い、綿入れの上に毛布を巻きつけひざ下まで積もった雪の中に飛び出して行きました。
 診療所までどれくらい時間がかかるか見当もつきません。二人にとってこれまでで最も長い夜になりました。


 明け方までに吹雪は止み、青空の広がった真っ白な雪原はきらきらと輝きました。
 一睡もできなかったかおりは玄関の周りの雪を少しづつ片付けながら見えてくるはずの人影をじっと待ちました。
 陽がだいぶ高くなった頃、雪原の向こうから一筋の踏み跡が伸びてきました。その歩みは遅く、進んでは止まり、進んでは止まりしてなかなか近づきません。ひざ上まで積もった雪がどれ程重いものであるかは知っています。ましてや子供を背負ってのことです。けれど歩みの遅い理由がそればかりではないような気がして胸が張り裂けそうな思いにかられますが、飛び出しても何歩も歩けないことはわかりきっていました。
 ようやく戻った正雄は下を向いたまま肩で大きく何度も息をし、倒れるように座り込むとかおりの顔を見上げゆっくりと首を横に振りました。
 「すまない・・・間に合わなかった・・・」
 肩が小刻みに震えていました。
 かおりは力なく泣き崩れました。
 雪原は限りなくまぶしく輝き、青空は深く冴えていました。おだやかで静かな冬の日に半年に満たない幼い命はあえなく消えていきました。
 次の日、正雄はブナの木の根元の雪を掘り、凍った土を掘り起こして小さな穴を掘りました。冷たくなった小さな体を埋め墓を作りました。まだ何もわからぬ美穂が雪に歓声をあげています。小さな土盛と青空に向かって伸びるブナの幹に二人は手を合わせました。涙は止まることを知らないようです。
 それからいく晩もいく晩も、二人の家の明かりは明け方まで消えることはありませんでした。
 季節は流れて行きます。春から秋の慌しい畑仕事が悲しみを忘れさせてくれます。
 1年ほど過ぎると男の子が生まれ太一と名付けられました。またにぎやかな笑い声が響くようになっていました。

 その年の7月のことです。
 順調に生育した小麦はたくさんの穂をつけ刈り取りを待つばかりでした。
 今年の出来はかなりいいようです。まぶしくなってきた日差しの下畑仕事に力がはいります。
 そんなある日のこと
 「何だか雲行きがあやしくなってきたわね」
 かおりが黒い雲が流れていくのを見てつぶやきました。朝から夕方のような薄暗さです。
 「ああ、あまり降らないでくれるといいんだが・・・」
 正雄の胸を不安がよぎります。
 しかしそんな正雄をあざわらうかのように見る見るうちにあたり一面まるで夜のように暗くなっていきました。
 やがて大粒の雨が降り出し、すぐにバケツをひっくりかえしたような豪雨になりました。いいえそればかりか大粒の雹がものすごい音をたてて落ちだしたではありませんか。
 正雄の顔から血の気がうせました。それは小麦の全滅を意味していました。
 収穫を目前にした小麦は大雨や雹で倒されると刈り取りにくいばかりか、穂が芽を出してしてしまい商品価値がなくなってしまうのです。
 ずぶぬれになりながら畑を見回った正雄はその無残な姿に天を仰いでただ立ち尽くしました。

 小麦は自家用分を拾うのがやっと、裏作の大豆もかなり被害を受けました。借金を返す分はもちろん生活するための金さえ間に合いません。こぶしで土を何度たたいても悪い夢が覚めることはありません。
 大豆の収穫を終えた正雄は知り合いのつてで冬の間遠くの町にある炭鉱で働くことにしました。とにかく生活費だけでも稼がなければなりません。ここに来てから長い間留守をするのは初めてです。
 「何も炭鉱でなくても・・・」
 炭鉱の仕事のきついこと、危険なことはかおりも知っていて反対しましたが、短期間でできるだけ多くの現金を手にしたい正雄にとって他の選択肢は無かったのです。
 かおりと子供たちだけを一冬残しておくことに不安はありますが仕方ありません。
 家畜の世話やこまごまとしたことを伝え、着替えだけを持って出かけます。
 「じゃあ行ってくるよ、子供たちのことを頼んだよ」
 「ええ、正雄さんも無理しないでね」
 駅まで見送りに来たかおりと子供たちの不安を隠せない表情が心配でなりません。

 汽車に2時間ほど揺られ、迎えの馬車でさらに1時間ほど行った所にその炭鉱はありました。なれない飯場暮らしと長時間の蒸し暑く、炭塵の舞う中での炭鉱の仕事は力仕事になれた正雄にとってもかなりきついものでした。危険とも隣り合わせの作業で、他の炭鉱では落盤事故でたくさんの作業員が死んだ話も耳にします。そんなこともあってなのか気性の荒い男たちも多く、なかなか雰囲気に溶け込むこともできないまま時が過ぎていきました。

 幸い事故も無く3月に家に戻りました。雪の多い冬だったようで雪かきに苦労した以外は取り立てて何もなかったようでお互いにほっと胸をなでおろしました。
 小麦はまた全滅することもないとは限らないので昨秋の作付面積はこれまでの半分にすることにし、代わりに牧草を播いて需要が増え始めていた乳牛の飼育を始めることにしました。馬小屋を増築して3頭の子牛を買いました。
 様子を見ながら徐々に増やしていくつもりでした。
                                 つづく
             (次回は最終回の予定です)

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