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山で風のように暮らすには ・・・その6 災難編・・・ |
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その朝、私たちは激しく窓を叩く音で起こされたのです。
何かのいたずら?覚めぬ頭に「・・・火事だ起きろ!・・・」という声が響いてくるではありませんか。 「えっ?火事・・・どこが・・・まさか?」 昨夜は山の友人たちが集まってヒマラヤに行くメンバーの壮行会を駐車場の隅でやっておりました。 バーベキューを囲んで楽しく過ごし、広子さんなどはついさっき布団に入ったばかりなのですから何が何だかわかりようがありません。 半分寝ぼけながらあわててズボンをはき外に出ると、顔をひきつらせた数人の友人が「火事だ、早く子供を外に!」と叫んでいます。 ふと工房の方を見ると何とオレンジ色に揺らめく炎が見えるではありませんか。 「・・・うそだろう・・・」悪夢なのか現実なのかすぐに自分の中で理解することなど全く不可能です。 「・・・火事だ、工房が燃えている!すぐに花梨ちゃんを連れて逃げろ!」 うろたえる広子さんを残し炎の見える方に走ると積み上げた材料が火に包まれています。 「水は!」 「出ない、電線がやられた」 「だめだもう消せない、早く119番に!」 「少しでも持ち出せるものを持ち出そう」 「店に回れ!」 10人近くテントを張って泊まっていた友人たちが慌てふためきながら走り回っています。 どうしたらいいのか、何をすればいいのか、何を持ち出せばいいのか・・・冷静になどなれるはずがないじゃないですか。頭の中は真っ白です。 「・・・燃えてしまう・・・私たちのすべてが燃えてしまう・・・私たちのすべてが・・・」 ただあっという間に燃え広がっていく炎の色が目に焼きついていくだけです。 今から考えれば消火器もあったし、風呂に水もあったはず。持ち出すものだって写真や現金など優先するものがあったはずなのに・・・。 焚き木のような材料とシンナー類の危険物、ベニヤ板だけの建物・・・全焼するまでそれほどの時間はかかりませんでした。 田舎に暮らすことを目指す多くの人がまず出会う災難が火事で、そんな話を本で読んだり、聞いたりはしていましたがまさか自分たちがそんな目にあうなんて・・・。 後の祭りではあるけれど私は火の元に関しては結構細かい方で、「失火」以外の原因が考えられないとはいえ夕べだって建物からの距離は十分とってあったし小雨も降っていて、誰がどう考えたって火事になるなんて考えられないはずなのだが・・・。 ともかくわずか2時間足らずですべては灰となって崩れ落ちました。 くすぶって煙のあがる焼け跡に冷たい雨の中で震えながら呆然とする私達がおりました。消防団は片付けを始め、隣組の女の人たちが手際良く消防団の人たちに炊き出しをし、男の人たちは後片付けの手配を始めています。聞きつけた観光協会の人たちや親戚、知人たちが駆けつけてくれます。そのすべてがまるで無声映画のようで私達二人を取り残したまま時間が過ぎていくようでした。 そしてそれから数日の間親戚や知人が次々に見舞いに訪ねてくれ、服一枚すら持ち出すことが出来なかった私たちに多くの家財道具と多額の見舞いを届けてくれたのです。何もかも失った私たちにはただただありがたく涙が乾く間がありませんでした。このありがたさは本当にこういう目にあって見なければわからないものです。どんなに助けられ、力づけられたことでしょうか。別に誰の世話にならなくても生きていける・・・そんな風にどこかで思っていた私達にとって大きな変革を迫られる事件でもありました。 悲しみばかりに浸っているわけにはいきません。やらなければならないことが山ほどあるのです。 近くに空き家を借りていた従業員のところに転がり込んで、まずは残骸の後片付けはもちろん、それをお願いする隣組の人たちへのお礼、犯罪者を調べるような警察の調書作成、お世話になった人たちへの挨拶、迷惑をかけた方へのお詫びなどめったにできない経験をいたしました。もちろんしないほうがよいことですが・・・。 そして翌日に予定していた取引先への支払い延長のお願い、銀行や市役所への通帳や書類の再発行手続き、火災保険の手続き、再建へ向けた取り組みといった仕事の後始末・・・と足を棒のようにして走り回らなければなりません。 服を買う時間などあるはずもなく、上から下までいただきもののサイズの合わない服や靴を身に着けて、あっちこっちと走り回る自分の惨めさに悔し涙が所かまわずあふれてしまいます。こぶしを握り締め、肩を震わせて、歯を食いしばって歩く姿は随分異様に見えたことでしょうね。 何よりも再建に向けて急いで事を進めなければなりません。従業員を解雇するわけにも行きませんし夏休みが目の前なのです。よく再建したねー!火事になんてあったらとてもそんな気になれないよ・・・とよく言われました。確かにそうなのかもしれません。これは経験したものでなければわかりませんがその喪失感はあまりにも大きいもので、すぐに再建しようなんて気力は無いほうが当たり前なのです。 私たちの場合従業員がいたことが再建への大きな力となりました。二人だけだったらその時点でやめていた可能性だってあったと思うのです。従業員を路頭に迷わせるわけには行かない!その思いだけでただ夢中で走り回ったように思います。 火災保険にはもちろん入っていました。でも本当に火災にあうことを想定して保険に入っている人はそういませんよ。それなりの保険金は入っては来ましたが休業中の売上の減少分や、どうせ作るならと前よりも広くと思ってしまう分までは考えているはずも無いのです。ここで無理をしてしまったことが後でたたってしまうのですが・・・とりあえずわずか一月半後の8月には再オープンさせるという周囲の人も驚くほどのスピード再建でした。もっとも住宅を建てるだけのお金は足りず、当面アパートを借りることにはなってしまいましたが。 この一件でたくさんの人のお世話になり、助けていただきました。その恩は一生忘れることは無いつもりです。本当にありがとうございました。この場を借りてあらためて御礼申し上げます。 その後店を大きくしたこともあり売上は年々伸びまして、銀行から借り入れして隣地も取得し念願の750坪の持ち主となりました。幼稚園などから大きな仕事も入るようになって順風満帆といった年が数年は続きました。 けれども不況には勝てず、98年をピークに売上が減少し始めます。観光地全体がどうしようもない顧客の減少という現実にさらされ、私達の小さな店など抗しがたい時代の流れでありました。 私達はこれからどうすべきなのか随分悩みました。従業員を減らして規模を縮小していくべきなのか、それとも積極的に売上を伸ばす手段を模索するのか?そんなところに飛び込んできたのが猪苗代の空き店舗情報で、立地は申し分なし。岳温泉でこれだけ売れるのだから猪苗代ならもっと売れるはず・・・従業員も辞めさせたくないし、借金も返していかなければならないし、不況もそんなには続かないだろう・・・。 その選択は時代の流れを読みきれなかった私達の大きなミスだった・・・のかも知れない。 次号は最終回「そしてこれから」です |
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